牧師紹介
田畑 淳(たばた あつし)1982年3月24日生まれ、和歌山県和歌山市出身 |
(エルサレム郊外の公園で) |
物心つく頃から演劇をこよなく愛する。
趣味は、舞台&映画鑑賞、読書、物を書くこと、自然を見ること。
好きなテレビ番組は、吉本新喜劇とNHK大河ドラマ。
好きな聖書の言葉
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難(かんなん)は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(第二コリント4:16-18)
ちょっとひとこと
「責任逃れをするよりも」
※ 2020年4月5日の説教より
牧師 田畑 淳
イエス様が十字架につけられる前の出来事です。
イエス様は当時のユダヤの指導者たちによって捕らえられた後、ユダヤの国を治めるローマ帝国の総督ポンティオ・ピラトのもとで裁判を受けました。
ピラトはイエス様が何の罪も犯していないことを知り、釈放しようとします。
しかし、指導者たちの息のかかった人々が集まって来て、大声で「イエスを十字架につけろ!」と彼に要求したのです。
ピラトは「このままでは暴動になる。暴動が起きれば厄介だ。それならこの男を処刑してしまったほうが良い」と考えて、イエス様に死刑の判決を下しました。
その時、ピラトは家来に水を持って来させ、わざわざ群衆の前で手を洗ってこう言うのです。
「この人(イエス)の血について、私には責任がない。おまえたちの問題だ」(マタイによる福音書27章24節)
本当に「責任はない」のでしょうか?
どんな理由があったにせよ、結局は、ピラトが無実の人を死刑にしたことに変わりはありません。
彼がどんなに自分の手をきれいに洗ったとしても、その事実は変えられません。
「私には責任がない」というピラトの言葉は、私にはこう聞こえます。「私を責めないでくれ。仕方なかったんだ。私は悪くないんだ」
私たちもピラトと同じようなことをしていないでしょうか。
自分の過ちをなかなか認められず、なんとかして自分を正当化しようとしていないでしょうか。
しかし、そんなことをしても、私たちは決して罪から清められないのです。
どんなに「仕方なかったんだ」と言っても、決して何も変わりません。
では、どうすればいいのでしょう?
私たちは、イエス様の十字架のもとに行くしかないのです。
責任逃れするのではなく、悔い改めて、イエス様のもとに行くのです。
私たちを罪から救うのは、自分を正当化することではありません。
あなたを罪から清めるのは、十字架であなたのために流されたイエス・キリストの血です。
イエス様は、あなたが神様に赦され、受け入れられるために、あなたの罪を背負って十字架にかかられました。
隣人を愛さなかった罪も、神様への不信仰、不誠実も、言葉や行動で犯した罪も、心の中で犯した罪も…全部イエス様が背負ってくださいました。
このことを信じるなら、あなたのすべての罪は赦されます。
赦されるからこそ、私たちは、真剣に自分の心を見つめ、悔い改めていかなければなりません。
ピラトのように「私に責任はない」と言うのではなく、神様の前にも、隣人の前にも、自分の罪を認めていかなければなりません。
そこから、またもう一度、正しく歩んでいくことができるのです。
(泉北ルーテル教会月報「いずみ」3月号 より)
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(総督ピラトの前で裁かれるイエス・キリスト)
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